枝廣淳子さん👉さんみつ

 Enviro-News from Junko Edahiro


                      No. 2745 (2020.04.14)

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レジリエンスの第一人者であり、ポストカーボン研究所上級研究員でもあるハインバーグさんのエッセイを日本語にしてもらいましたので、お届けします。

今絶対に必要な「3密の回避」が、人と人とのつながりの希薄化につながらないようにどうしたらよいか、私たちも考え、試行錯誤していきたいと思います。


~~~~~~~~~~~~ここから引用~~~~~~~~~~~~

Coronavirus, economic networks, and social fabric
https://bit.ly/3a8vMmm


新型コロナウイルス、経済ネットワークと社会のつながり」

リチャード・ハインバーグ
2020年3月16日

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的大流行(パンデミック)は、現代の世界がいかにつながり合っているか、私たちが経済効率と引き換えにどれほどレジリエンスを失ってきたかについて、興味深い洞察を提供している。

一つの例を挙げてみよう。「2019年12月、中国で誰かが病気になった。そして2020年3月には米国のシェールオイル産業が崖っぷちに立たされている」。そこにはどういったつながりの連鎖があるのだろうか?

・2020年1月:新型コロナウイルス感染症が爆発的に広がり、中国は大規模な隔離措置の実施を余儀なくされる。

・何億もの人々が自宅待機となり、無数の企業がオフラインに移行した結果、中国の石油需要が落ち込む。

・3月7日:サウジアラビア原油価格の急落を避けようと、石油輸出国機構(OPEC)の加盟各国とロシアに対し、原油の減産を要請する。

・3月9日:ロシアが要請を拒否したため、サウジアラビアはさらに大幅な原油の増産と販売価格の値下げに踏み切って価格競争を仕掛けようと決断する。

・その結果、世界の原油価格は1バレル当たり50ドル(2月17日時点)から33ドル(3月9日時点)に下落する。

・その一方で、価格競争により最も痛手を被るのは、ロシアではなく米国であるのは、ほぼ間違いない。米国は世界最大の産油国として、近年、産油量がめざましく増加したが、それはほぼすべて、ラッキング(水圧破砕法)で採掘されたライトタイトオイル(シェールオイル)によるものだ。しかし、ラッキングには費用がかかる。原油価格が今より高値をつけていた時でさえ、ラッキング産業はこの非在来型石油資源から利益を得るのに苦労していた。

原油価格が1バレル当たり30ドルに向かい、さらに下落する事態になれば、極めて優良な鉱区を所有し、最も効率よくフラッキングを行う企業であっても、投資家を満足させることはできない。そのため米国内では、何十社もの石油生産業者が倒産することになる(トランプ政権が救済措置を取らない限りは)。

何がこの破綻を引き起こしたのか? それは、中国が意図的に(そしておそらく必要に迫られて)、経済的なつながりから撤退したためである。このことから、ネットワーク化されたシステムについて、有用なことがわかる。

つまり、システムに多くの冗長性が組み込まれていなければ、ネットワーク内のノード(節点)のどれもが他のノードに影響を与える可能性がある、ということだ。もしそれが重要なノードであれば(中国は世界の製造業の中心になっていた)、システム全体をかく乱させる可能性がある。

冗長性とは実際、どういうものなのだろうか? もし私たちが、もっと多くの製品を地元で生産していれば、これほど大きく中国に依存する必要はなかっただろう。もっと多くのエネルギーを地元でつくり出していれば、私たちのエネルギーシステムにはおそらく(さらに多様なエネルギー源を持つという形で)もっと冗長性があり、結果として、世界のエネルギー経済のレジリエンスはもっと高くなっていただろう。それでもなお問題は生じるかもしれないが、システム全体に影響を与える可能性は少ないだろう。

だからこそ、冗長性は重要なのだ。だが、冗長性は経済効率の敵である。この数十年間、経済工学の専門家たちは、倉庫代をできるだけ減らすために「ジャスト・イン・タイム」方式のサプライチェーンを構築し、最も安価な労働力と原材料を入手するためにサプライチェーンを拡張してきた。

結構なことだ――誰もがより安価な製品を手に入れ、中国は猛烈な勢いで経済を成長させてきたのだ。しかし、国際的な供給ルートが機能していない状態で、あらゆる人々が急遽N95マスクを必要とするようになったら、どうなるのだろうか? 役人が地元のマスク工場に電話をかけて、新たにマスクを注文するだけで済む話ではない。その工場はおそらく何年も前に閉鎖しているのだ。

これは、新型コロナウイルスパンデミックが、ネットワーク化された世界経済に厄介な難題をもたらしている状況の、ほんの一例に過ぎない。その一方で、ネットワーク化された経済のせいで、ウイルスのまん延を遅らせるための取り組みが複雑になっている。より多くのネットワークを考慮に入れ始めると、実に厄介な状況になる。何百万もの人が隔離され、誰もが狭い場所で大勢の見知らぬ人と一緒にいたくないとすれば、観光業界はどうなるのか? 航空業界は? レストランやホテルは? ビジネスの激減がほんの数週間続いただけでも、企業にとっては存続の危機となり得る。

それゆえ、各国の政府指導者や中央銀行の総裁ら金融界の指導者は、日々協議を重ねて、今のところ(米国では)株式市場の大暴落に過ぎないものが深刻な経済恐慌に転じないようにするための施策を見いだそうとしている。残念なことに、彼らが自由に使えるツールはその仕事には役不足かもしれない。というのも、中核にある問題(パンデミック)は、本来金融の問題ではないからだ。米国経済のおよそ70%を直接動かしているのは、個人消費である。しかし、金利の引き下げや財政出動によって国民の懐に現金を突っ込んだとしても、すぐさまクルーズ旅行や飛行機の予約をしようとは思わないだろうし、金曜日の夜のディナーや映画にさえも出かけようとはしないだろう

しかし、このところ私が最も案じているのは、そうしたことではない。むしろ心配なのは、新型コロナウイルスの感染拡大の社会的側面である。株主価値と投資家利益の急成長を優先する経済においては、金融危機は避けられない。現実を根本的に間違って理解した上に成り立つ経済――有限の地球において、資源を採掘し、モノを製造し、廃棄物を投棄することが無限に続けられるという暗黙の了解に基づいた経済――ではなおさらだ。多くの環境思想家は何年も前からこの点を指摘し続けてきた。

だが、この本質的な脆弱性への対応として最も理にかなうものは、コミュニティのレジリエンスを強化することである。このことは、私と同僚たちがずっと提言してきたことだ。つまり、地元の農家、製造業者、販売業者、芸術団体、あらゆる形態の市民組織を支える、ということである。「信用」こそが来たる難局を乗り切るための通貨であり、信用の大半は、コミュニティ内で人と人とが顔を合わせて交流することによって築かれるものなのだ。

しかしながら、新型コロナウイルスへの対応として必要なのは、社会的距離(ソーシャル・ディスタンシング)、すなわち、人と人との接触減らすことである。人々が自主的に、または地域の隔離措置によって強制的に、公共の場に出ないようになれば、地元のレストランや農産物直売所、商店のみならず、宗教コミュニティや地元の芸術団体までもが、必ず深刻な影響を実感することになる。スポーツイベントやコンサートは中止になり、市民が地方や国の政治に直接かかわることも難しくなりつつある。公共交通機関も空っぽになりつつある。

私たちはもうしばらくの間、市民の間の「つながり」を保つ方法を考えなくてはならない。パンデミックがいつまでも続くことはないだろう。ウイルスそのものは永遠に存在し続けるかもしれないが、いずれにしても、ウイルスと人間は何らかの形で生物学的にうまく適応することになるだろう。最も可能性が高いのは、人間が、おそらくワクチンの力を借りて、集団免疫をつけることだろう。私たちが緊急に取り組まなくてはならないのは、それまでの間、私たちのコミュニティを健全でレジリエンスのある状態に保つことである。

もちろん、私たちにはまだインターネットとソーシャルメディアがある。、こういったツールは、“平時”には、顔を合わせる交流から私たちを遠ざけたり、ソーシャルスキルを弱めたりすることも多いが、今はこのようなツールをフル活用すべきである。当面は、最新ニュースを知るためだけでなく、自分にとって大切な人々すべての状況を知るために使うことができる。革新的なコミュニタリアン共同体主義者)たちが、仲間同士でZoom会議を設定して「連絡」を取り合っていると聞いたこともある。農産物直売所を訪れ、農産物を褒め、天気の話をして、新鮮な野菜をかごに入れて持ち帰ることができるアプリはまだないのは残念なことだ。

ユーモアは難しい情報を感情面で処理するときに支えとなり得る(とはいえ、最近は多くの人の心が傷つきやすくなっているので、ユーモアは慎重に使った方がよいが)。私たちが感情面で処理しなければならないことはたくさんある。新型コロナウイルス感染への恐怖や、確定拠出年金(401k)が消失してしまうのではないかという恐怖だけではない。休暇をキャンセルすべきだろうか? ヨガ教室に行くべきか、それとも家にいるべきか? 隔離措置のせいでさらに数週間も仕事ができなければ、どうやって家計をやりくりすればよいのか? どれだけ日常生活が乱されるのか? 我が社は従業員と顧客を守るためにもっと何かすべきだろうか? これらをはじめとする疑問は、配偶者間、親子間、同僚間、労使間の人間関係の緊張を高めている。

正常性バイアスと否認の心理によって、行動が必要な時でも「自分は大丈夫だろう」と考えてしまうことがあるが、その一方で、パニックに陥ると、不適切な選択をし、友人や同僚が真摯に心配してくれてもそれを拒絶してしまうかもしれない。

一つの解決策は、友人や隣人、同僚、家族と新型コロナウイルスについて話し、相手が心配していることに積極的に耳を傾け、そうした会話を社会性のある方向へ、すなわち事態の深刻さと行動を変える必要性を考慮に入れる方向に、それとなく導くことである。

皮肉なことに、現時点で最も社会性のある行動は、家から出ないことだ。一方で、良識をもって準備もしておこう。1カ月間外出しなくても乗り切れるだけの備蓄を準備し、自分がすることを考えよう。

忘れないでほしいのは、人類は今回よりもっとひどい伝染病を乗り越えてきたということだ。ちょうど私の妻ジャネットが、歴史上のちょっとした話を教えてくれた。ウィリアム・シェイクスピアが役者と劇作家として駆け出しのころ、ペストが大流行して市民の間で暴動が広がる可能性を懸念した枢密院の命で、ロンドンの劇場が閉鎖されたという(1592年1月23日)。しかし、1594年6月に劇場は再開され、シェイクスピアは知らない人はいないほどよく知られるようになった戯曲を書き続けた。シェイクスピアのように、私たちもこの難局を切り抜けられるだろう。

今後数週間は、さまざまなつながりにしわ寄せが及ぶだろう――個人的なつながりや地域でのつながりも、経済のつながりや世界規模のつながりも。もはや頼りにできなくなってしまったつながりのバックアップを探しつつ、最も大事なつながりをはぐくむことができるかどうかは私たち次第である。

自分にとって最も必要で、最も価値あるものは何なのだろうか? 私たちはどうすれば互いに支え合うことができるのだろうか? これから私たちはこうした問いについて自問自答するかもしれない。そして、家でじっくり考える時間は余るほどたっぷりありそうである。

(以上)