白鳥一彦さんから
【秘密】クレオパトラとシーザー こみ☆まぐ
光陰矢のごとし。早くも新しい年がめぐってきました。
今年は、強烈な電磁波 5G 導入で、激動の一年になるでしょう。
人類が約200年間、
子どもたちの未来のために、
私たちは迷うことなく真実追及活動をしていかなければなりません
今年も頑張ります。
5G 反対同盟 白鳥一彦
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│〓カレンダーの秘密〓
│カレンダーの魅カに迫る
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まっさらなカレンダーを、今一度よく見てください。
なぜ1年は12ヶ月あるのでしょう?
なぜ、31日間の(大の月)と30日間の(小の月)
それに平年2月は28日です。閏年(うるうどし)は、
気にもしていなかったカレンダーにも、
これらのヒミツは古代にまで遡(さかのぼ)ります。
農耕を生活の中心としていた古代の入々にとって、
重要なことでした。
人々は、自然界には時の流れを測る単位として、
●昼夜がめぐる1日
●月の満ち欠けが一巡するひと月
●季節がひと回りする1年
があることに気づきます。
それを元に
☆1日と、ひと月の組み合わせを基本とする 「太陰暦」
☆1日と、1年の組み合わせを基本とする 「太陽暦」
と呼ばれる代表的な暦を作りました。
古代ローマでは、
☆ひと月と、1年を組合わせた1年が355日の 「太陰太陽暦(ローマ暦)」
を作りあげていました。
つまり季節がひと巡りするには、月の満ち欠け(新月→満月→
を12回繰り返すと、ほぼもとの季節に戻るので、
29.53日×12ヶ月=354.36日(
このため実際の1年(1年/365日)とでは、
そこで、
ことができません。
この難間を解決したのが、ジュリアス・シーザー(ユリウス・
そしてそのヒントは、エジプトにありました。
エジプトでは、ナイル川が氾濫する時期を知るため、
なわれていたのです。
その結果、明け方に太陽が昇る直前、
ナイル川が氾濫することを見つけだしていたのです。そして、
あらわす周期が365.25日だったので、
いました。
エジプトヘ遠征したローマのユリウス(シーザー)は、
いエジプトに長く滞在することになりました。
この「エジプト暦」の存在も知ったのです。
エジプトから天文学者のソシゲネスを奪い取るようにしてローマに
は、自国の改暦を行いました。 その内容は、
「1年を12ヶ月365日とし、余り日(0.25日)
(うるうび)を挿入する。」
というものでした。
旧来のローマ暦では、年始(お正月)は3月で、
このローマ暦の月の順番は尊重し、3月から順に31日、30日、
最後の2月を29日、閏年の時は30日にすると決めました。
そして、
と改名してしまいました。
ローマ暦とエジプト暦がひとつになり、
暦の誕生です。紀元前45年のことでした。
このユリウス暦に手を加えたのが、シーザー暗殺後にローマ帝国 初代皇帝となった
アウグストゥス(オクタヴィアヌス)です。
「7月がシーザーの月なら、8月は私の月だ。」
と、8月をアウグストゥス(英語でオーガスト)に改めました。
そして、自分の月が「小の月」なのを嫌い、8月を31日にして、
て28日としてしまいました。
この結果、7月・8月と「大の月」が続くので、
かえ現在のような月々の日数になったのです。
以来、ユリウス暦は、1600年以上も使われてきました。
季節と暦が徐々にズレていき、16世紀末には、
のです。
そこで1582年、時のローマ教皇・
それは、
「西暦年が4で割りきれる年を閏年とする。
400で割り切れない年は平年とする。」
と言うものです。
つまり、西暦1600年は閏年ですが、1700年、1800年、
これが、現在私たちが使っているグレゴリオ暦です。
日本での採用は、1873年(明治6年)からです。
「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、
とパスカルは言いましたが、
でなかったらエジプト文明に対するシーザーの興味も薄かったでし
そして「1年12カ月」というローマ暦と「1年365日」
なかったかもしれません。
しかし偶然か運命か今日、ほぼ世界中の国で「時の道標」
あふれるクレオパトラと、
生まれた暦なのです。
(了)
◆カレンダーの秘密 PDFファイル ダウンロード
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