白鳥一彦さんのメールから


━■健康談話■━

■“真の健康”を蘇(よみがえ)らせるもの

最近、新聞、週刊誌、婦人雑誌、テレビ?ラジオなどで、いわゆる「健康もの」が大流行である。
不況下の公害列島で、半健康状態におちいっている1億1千万の人間が、ようやく自らの「健康」
に目覚めはじめた現象とするなら、それは、やや遅すぎた自覚であるとしても、まあ結構至極な
現象であるといわねばなるまい。

だが、喜んでばかり入られないのである。
というのは、マスコミが「健康、健康」と騒ぐ割合には、良い記事が少ないからである。

たとえば本屋には「健康?長寿のために、もっと動物性蛋白食品(肉?牛乳?卵)を摂るべし」式
の前世紀的発想の単行本が氾濫しているし、週刊誌や婦人雑誌などでは、有名大学教授の名を
借りた陳腐なドロナワ式特集が後を絶たない。
また健康もの専門誌では、膨大なページを割いて「意見と異見」の雑貨屋をはじめ

「はたして、どちらが本物なのか?」

と読者を混乱に陥らしめている。
このような次第で、一般の願いとはウラハラに、健康状態は、増々おかしくなってきている現状
である。ただ、極めて幸運なことに、この公害列島は、かなり長期的な不況の波に見舞われはじ
めた。異常な経済成長速度が減速し、人身もようやく正気に立ち戻り始めたからである。
超高度経済成長時代は、カネが万能であった。
「使い捨て時代」とか「消費は美徳なり」という、錯乱状態に陥った人々もこの地球の天然資源
は有限であることに気づき始めた。カネよりも、ダイヤよりも土地よりも、もっと大切なものは、
生命であり、健康であり、愛の心である??????ということが、わかりはじめた。

不況になって、モノが乏しくなる。
贅沢を追放して、ものを大切にする心構えができる。
現代栄養学で「毎日、肉を食え」といっても、現実には、週に1回しか食べられなくなる。
八百屋で野菜を買うよりも、山野に出かけて野草や山菜を摘んできたほうが安上がりである。
イカー族も、自らの足で歩き汗水を流すことの快適さを覚える。
やっとの思いで山頂にたどりつき、仲間と分けて頬ばる握り飯や梅干しのほうが、レストランで
食べる血のしたたるステーキよりも、何十倍も何百倍もおいしくまた健康的であるかを体験する
ことだろう。こんなことから、公害列島の住人が少しずつ心身ともに健康をよみがえらせていく
可能性はある。とするなら、不況も、貧乏も、万々歳ではないか?

重ねて付言するが、現代医学及び栄養学は低落しつつある我々の健康状態を回復せしめるのには、
全く無力といわねばなるまい。むしろ今、我々に与えられた経済事情つまり不況と貧乏が、精神
と肉体の健全化をもたらす条件となり得ることを指摘しておきたい


■人間の食物生理学

ここで、我々の体と食物との相関性について述べておこう。

我々の体の細胞は、直接的には血液によって生かされている。
これは「血液によって栄養分と酸素が供給されている」という一般的な考え方とは次元の違う話で、
血液中の赤血球がいくつか寄り集まって溶け合い、白血球や組織球に変わり、それから体細胞に変
わって行っているという話なのだ。

では、その赤血球はどのようにして作られているのかというと、腸において、食物を素材にして、
生産されているのである。一般には、食物はアミノ酸ブドウ糖などに分解され、それが栄養物と
して吸収されるといわれている。

そういう一面も否定できないが食物はかなり大きな塊のままで直接腸壁に取り込まれ、それが変容
を受けることによって体蛋白がこしらえられ、次いでそれが赤血球に発展していく。以上のような
ラクリは、拙著『血液の起源』(1960年刊)で触れておいた。
まさに、食は血なり、血は肉(体細胞)になっていく。このように体細胞は血液から作られ、そして
血液に浸されて生きている訳だから、我々の健康状態が血液性情によって左右されるのも当然の話。

血液をきれいにすれば、病気を予防し、あるいは病気を治して健康をよみがえらせることもできる。
その血液をきれいにするためには、食物の摂り方を正さなければならない。自然食が必要になるのも、
そのためなのである。そこで、もし私が「自然食とはどのようなものか」と問われれば

「それは、人間の体の自然性を目覚めさせてくれる食事のこと」

と答えるだろう。
モノ自体が自然であるからといって必ずしも自然食とはいえない。毒キノコの場合を考えてみればいい。
また、肉、牛乳、卵など、モノそのものが汚染されていないとしても、これらを食べることによって
我々の腸内には、大量の毒素や老廃物が発生し血液を汚してしまう。
つまり体の自然性をそこなうものだから、これらを自然食と呼ぶのは適切ではない。

このように、食物の良し悪しを考える場合には、いつでも

「その食物が体の中に入ってから、どのように運命づけられるか」

という立場で、判断をする必要がある。そうではなく、食物を体から切り離して考えると、全く次元
の違った結論が引き出されたり、大きな間違いを起こしたりしやすい。
では、我々の体の自然性を目覚めさせてくれる食物とはどんなものなのか
それは、穀菜中心食である。

人間という生き物は、もともと草食性(そのうちに穀菜食)動物なのである。
その証拠は消化器官にはっきりと現れていて、歯は穀物や野菜を食べるのに好都合なように、臼歯や
門歯が発達している。したがって穀菜食を中心とした食事を摂れば、消化機能も順調に働き、それに
よって造血、解毒、排泄などの機能もすべて正常化し、血液性情もまた健全となる訳である。

■浄血健康法の原理

周囲を見渡してみると、いかに多くの人々が、多種多様な病気に悩まされていることか?

血管?心臓病、ガン、アレルギー疾患および精神病などいわゆる「文明病」、肝腎病、神経痛、リュウ
マチ、糖尿病や結核などの「慢性病」、それに数々の医原病や公害病などの氾濫ぶりは、目をおおい
たくなるほどだ。残りは、まだ発病していない予備軍??????ともいうべき半健康状態に置かれている。

それは現代の機械文明、特にその過保護的側面によって、現代人の体質が急激に脆弱化してきている
こと、それに精白食品(白米、白砂糖など)や動物蛋白食品が食生活の中心をなしているからでもある。
このように問題が放置され、文明社会が無数の病巣社会と化している現状を見ると、現代医学には
「健康の原理」が存在していない??????ということが、よくわかるだろう。

西欧医学は、病気があらわす苦痛を化学薬剤で鎮静するという主要課題に取り組み、その意味におい
ては確かに成功を収めてきた。しかし、病気を根治させるための理論も、病気にかからせないための
方法も、全く研究されてこなかった。

だからこそ、「日進月歩に医学」といわれながら、病気の種類も病人の数も、一向にへる気配を見せ
ないのである。もし、西欧医学が「健康の原理」に根ざして発展してきたなら、化学薬剤の大部分は
放棄されたであろうし、現代栄養学からは「動物蛋白中心主義」や「カロリー学説」なども姿を消し
たはずである。私が長年にわたって提唱してきた「自然医学」は、「健康の原理」を土台としている。

一言で言えば「浄血健康法」である。

その理論と実際については、今日までに約40冊ほどの著書で紹介してきたし、また現在、
月間『自然医学』を発行し、会員の参考に供しているので、ここでは詳細を避け、その
概要を述べるに止めておこう。

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月間『自然医学』

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我々が健康を保ち続けるためには、微妙に仕組まれた自然性を大きく狂わせないようにしなければな
らない。すなわち病気を治す手段としては、強い化学薬剤を用いることなく、より自然な方法、たと
えば精神療法、運動療法、食事療法、それにハリ、キュウ、指圧、薬草、野草、その他の物理療法な
どによって、体の自然治癒力を増強させることが主眼となる。

そもそも、ほとんどすべての病気は、

?不良食物とくに肉類が腸内で腐敗して、腐敗産物(硫化水素アミン、アンモニアインドール
 など)や腐敗毒素および病原ビールスを産出し、

?それらが血液に吸収されて、血液を汚染し、

?抹消の臓器組織に漂着したこれらの有害因子や発病因子が炎症を起こさせる、

という三段階を経て、発病するものだ。

したがって、病気の治療には、腸内の腐敗を防ぎ、血液を浄化することが不可欠である。
また、病気の予防にも、腸内の腐敗防止と血液の浄化を行えばよい、ということになる。

■『自然食』運動の推進と効用

現代医学が登場するまでは、洋の東西を問わず、いずこの国、人種においても、独自に伝承され続け
た民間療法が、医術の主流を成していた。
そのうち野草や薬草の利用、食事法などの民間療法には、再検討に値するものがずいぶん多いはずで
ある。病気が激増し、現代医学、とくにその薬物療法がその限界点に達し、大きな障壁に逢着してい
る現在、野草?薬草、日常食品による食事療法の再発掘?再発見は、焦眉に急・・・・・・といわねば
なるまい。

このように考え、これから脚光を浴びるであろう「自然医学」の基礎として、私なりに「食物の薬効」
を研究してきた。もちろん、自然の食品にはすべて何らかの薬効はある。
また、体質との相性の上で、ある場合には、ここに書かれていない食品も、合わせて利用したほうが
より効果的??????という場合もある。

さて、20数年来、私どもが「自然医学」運動の一端として取り上げてきた「自然食」運動は、まさに
今日的性格を有するものである。そのため、私どもは、これを強力に推進してきた。

まず第一に、的確な自然食療法によって、多くの慢性病や難病を治療せしめることができること。
薬物療法のような危険性はなく、しかも根治が可能である。
前述した食物生理学や発病のカラクリを理解すれば、食物によって病気が治癒するゆえんも納得でき
るはずである。

第二に、公害対策としても、この自然食療法は有力な武器たり得ること。
ある種の食物がもっている特別な薬効成分の力を借りて、体内に蓄積されているある種の公害物質を、
選択的に排除することも可能である。
すでに、いくつかの事実が判明しているものの、まだまだこの方面の研究は低調である。
今後新しい発見が期待できよう。

そして、第三に、私どもの提唱する自然食運動は、世界の食糧難問題を解決する最も具体的な方策で
もあることを、指摘しておかねばならない。人口と食料の量的バランスは、すでに飽和点に達している。
また今後人口が増え、食べられぬ人たちが増えることも事実である。
量的に解決できないとすれば、食物の質や「食べ方」を検討する必要があろう。

つまり無駄な畜産物(肉類)などの二次製品をやめ、一時的な農産物に切り替える。
そして穀物の精白を禁止し、未精白穀物(玄米や黒パン)を中心とする食形態にすれば、この食糧難
問題は解決できる、という計算になる。また、それは人間にとって、何よりも健康的な食形態なので
ある。

    (了)