白鳥一彦さんのメールから

━━━━━━━━━━━━□ 6月 三考察 □━━━━━━━━━━━━

―― 心にのこる、書きかた、伝えかた

   母シカの手紙

                 船 瀬 俊 介


野口英世の出世に驚いた母シカの手紙】

千円札になった偉人「野口英世」は?勿論知っていた?
でも?その母親「野口シカ」は?まったく知らなかった?
その手紙には感動で?涙が止まらない?

野口英世とシカのツーショット写真
http://command-ex.com/L3629/g4531/62551


野口シカ(1853~1918年)の人生とは・・・。

野口英世(清作)が一歳半の時?囲炉裏に落ちて大火傷を負ったことをシカは生涯に渡って
悔い続けていた?
ゆえに英世の出世を?誰よりも喜んだ?

シカは云う

「息子がどんな勲章を貰ったとしても?自分にはそれがどのような立派なものかはわからな
 いが?息子が向こうで元気でやっているのなら?それで良い」

と?息子の出世自慢はしなかったらしい?

■シカ?四十五歳の頃

農作業の傍ら副業として?産婆を営むようになった?
だが産婆の開業について政府による?新免許制度が創設された?
これにより全ての産婆に?免許取得が必要となってしまった?

しかしながら?シカは満足に文字の読み書きができなかったのだ?

■話は子供時代にさかのぼる

江戸幕末期(シカの幼少期)では?学校制度がまだ確立していなかった?
また?祖父と両親が相次いで家を出ている?そして身体を壊した祖母がいた?
そこで必死に実家を支えんとし?シカは子守などの丁稚奉公に従事をしていたのだ?

よって教育を受けるチャンス(機会)が?シカには全く無かったのだ?

その後?近所の寺の住職に頼み込んで?いちから読み書きを教えてもらった?
あの囲炉裏の炭を指先につけ?必死に文字を練習したともいう?

やがて苦労の末に国家試験に合格?
正式な産婆の免許を取得し?生涯にわたって合計二千人近くの子供を?とりあげたらしい?
そのためシカは?近隣の人々から非常に感謝され慕われた?

ようやく息子清作と再会を果たした三年後?スペイン風邪のためシカが死去(1918年)した
際には?村始まって以来の盛大な葬儀がとり行われた?と伝わっている?

この手紙に感動する?文字に?文章に?ぼくとつな人柄に?子を想う母の心に?涙?

以下、読んでください?

現代文訳:

お前の出世には?皆たまげました?
わたくしも喜んでをりまする?
中田の観音様に?毎年?夜籠りをいたしました?
勉強なんぼでも切りがない?
烏帽子(烏帽子村から金の催促)には困りをりますが?お前が来たならば?申し訳ができま
しょう?

春になると?みな北海道に行つてしまひます?
わたしも?心細くありまする?どうか早く来てくだされ?
金を貰うたこと?誰にも聞かせません?
それを聞かせると?みな飲まれてしまひます?

早く来てくだされ?
早く来てくだされ?
早く来てくだされ?
早く来てくだされ?
一生の頼みでありまする?

西さ向いては拝み?東さ向いては拝みしてをります?
北さ向いては拝みをります?
南さ向いては拝んでをりまする?
一日には? 塩断ちをしてをります?
栄昌様(天台宗の修験者)に一日には拝んでもろてをりまする?
なにを忘れても?これ忘れません?

写真を見ると?戴いてをりまする?
早く来てくだされ?
いつ来ると教へてくだされ?
これの返事待ちてをりまする?
寝ても眠られません。

引用元:
野口英世資料館

■さあ?田舎に帰ろう

大阪府のモミジの名所?箕面公園野口英世博士の銅像があります?
大正四年の九月のこと?
野口博士はようやくアメリカから帰国出来ました?
そして老母シカに親孝行したいと考え一緒に東京?名古屋?伊勢?大阪を旅しました?
大阪でのこと?箕面の料亭「琴の家」で隣に座る老母シカに?何かと心を砕き孝行した野口英世?
その姿に女将が感銘を受け?建立したとのことです?

             (了)

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◆フナセどや部屋
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